人々の意識の変化
これまでの数々の災害は、私たちの暮らしや防災にどのような変化をもたらしたのでしょうか。
防災意識の高まり

ある調査によると、2011年の東日本大震災後、今後の大地震に不安を感じると答えた人は約80%。
災害に対して何かしらの備えをした、見直したと答えた人は約60%でした。
東日本大震災は東北地方が震源でしたが、被災した都道府県は多数。
九州地方でも揺れを観測したほどの巨大な規模でした。
大津波は多くの犠牲者を出し、電力不足も長期に渡り深刻な状況となりました。
非常食は3日間を目安とされていましたが、
1週間分は備えるように言われ始めたのはこの頃からです。
近い将来、南海トラフ地震や東京に直下型地震が起こる見込みであることも報道されるようになり、
どちらも広範囲に被害が及ぶことが想定されることから、
たくさんの人が備えを見直す機会となったと言えます。
東日本大震災は、間違いなく日本国民の防災意識を改めて高めるきっかけとなったでしょう。
人とのつながりを再認識
震災後、他者とのつながりをより大切にしたいと感じるようになったと答えた人は、
全体の7割近くだったという調査結果があります。
突然、非常事態が発生した際には、家族や隣近所の方々と協力し合うことが不可欠です。
瓦礫の撤去を手伝ったり、近くの高齢者を心配して自ら救助に向かったり、
自主的に活動する住民の姿を見たことがある方も多いのではないでしょうか。
ライフラインがストップしてしまった状況下で、物資や情報を提供し合える地域の方々は頼もしい存在です。
そのため、いざというときに助け合えるように、日頃から身近な人との絆を深めたいと思う人が増えたということなのです。
セキュリティが頑丈な住宅が増える一方で、ご近所さんとのつながりが希薄になってきている現代では、
大きな変化といえるのではないでしょうか。
また、晩婚化が進む中で、結婚したいと考えるようになった人も急増しました。
これは数ヶ月後には減少していきましたが、
仕事よりも家庭を大切にしたいと感じるようになった人も増えたと言われています。
高い収入が欲しいと感じる人は減少するなど、仕事観、家族観にも変化が見られました。
ボランティア元年
当時、戦後最悪と言われた阪神・淡路大震災は、人々にボランティアの意識を根付かせました。
この大震災をきっかけに、民間の団体や一般市民が被災地へ出向いてボランティア活動を行うことが定着し始め、
1995年はのちにボランティア元年と呼ばれるようになったのです。
東日本大震災ではさらに多くの人がボランティアとして現地へ支援に向かいました。
その後の豪雨災害などでも活躍しています。
助け合いの精神の広まりは、この大災害がもたらした希望だったのかもしれません。
社会の取り組みの変化
災害は人々の心の中だけではなく、社会全体にも大きく影響を及ぼしています。
消防・医療体制の強化
1996年に東京消防庁で消防救助機動部隊が作られました。
ハイパーレスキューという愛称でも呼ばれています。
災害時には、豊富な知識と技術で現地で救助活動を行い、
国内はもちろん、海外での大規模災害にも派遣される専門部隊です。
2004年のスマトラ沖地震や、2017年のメキシコ中部地震でもその実績があります。
また、阪神・淡路大震災での医療体制の反省から、一人でも多くの命を救うべく、
2005年には災害派遣医療チームが誕生しました。
このチームはDisaster Medical Assistance Teamから、「日本DMAT」と呼ばれています。
「災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チーム」と定義されており、
災害現場に滞在し、行政・消防・警察等と協力しながら医療を提供することのできる組織です。
電力不足に対する対応
東日本大震災の後、東北・関東圏を中心に電力不足が深刻となりました。
そこで東京電力が実施したのが計画停電です。
これは、幾つかのエリアに分け、順番に1日のうちの一定時間、意図的に停電させていくというもので、
家庭だけでなく企業や信号機も停電します。
通常、電力は需要と供給のバランスが常に取れている状態ですが、
供給が需要に追いつかなくなってしまった場合、そのバランスが崩れ、大規模な停電が発生してしまうのです。
停電すると会社や工場等も稼働できなくなるため、経済活動に大きく影響が出てしまいます。
計画停電はその経済的リスクを最小限にしながら節電し、電力を確保するというものです。
病院等の医療機関や、消防や警察署など重要な施設は停電が緩和されていましたが、原則は全員が対象とされました。
計画停電が朝なのか夜なのか、会社にいる間なのか、人によってそれぞれでしたが、
停電のタイミングに合わせた生活を送る必要がありました。

日本で一度、その大規模停電が発生した事例があります。
2018年9月に発生した北海道胆振東部地震です。
9月6日午前3時7分に最大震度7の地震が発生し、約18分後には、北海道全域が停電。
このような大規模停電はブラックアウトと呼ばれています。
この短時間の間に、北海道で一番の発電量だった発電所が被災し、電力供給がストップ。
その他水力や風力発電所も相次いで停止したことで、全域の停電を招いてしまいました。
北海道電力は積極的に節電を呼びかけ、電力需要の高い時間帯に、約2割の電力削減を目指したのです。
具体的には、
- 家電のコンセントを抜く
- 指定時間外で洗濯をする
- 家族がなるべく一部屋に集まる
など、各家庭ですぐに実践できる内容で協力を求めました。
計画停電とまではいかなかったものの、十分な効果を発揮し、
約2週間後には安定した電力供給ができるまでに復旧しました。
このような取り組みには賛否両論ありますが、
前例ができることで、後世はより迅速かつ効果的な対応ができるようになるでしょう。

東日本大震災以降は、人々のなかに節電という意識が定着しつつあり、
家電の省エネ能力は年々進化を遂げています。
さて、震災後、脱原発という意見が飛び交うなか、エネルギー資源において変化はあったのでしょうか。
次のセクションで解説します。